遣唐使は朝貢形式で行われている。日本の側の君主は「天皇」を既に自称していたが、それでも中国の皇帝と対等の立場で貿易を行っていたという記録は無い。その廃止以降、中国の冊封体制に加わることはなかった。五代十国の呉越や、北宋・南宋とも交流があったが、藤原氏や平氏、その他民間の商人によるものであり、正式な国家交流ではなかった。
渤海との貿易においては、逆に渤海の側が日本に対して渤海使を派遣し、日本側は朝貢として受け入れた。当時の日本の国力では、毎年の朝貢に対して回賜を行う能力は無く、12年に1度に制限するに至った。
また7世紀中頃に、朝鮮の済州島に古代から中世にかけて存在した王国である耽羅国が、唐の侵攻を恐れて日本に朝貢した。
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あるいは、隋書の倭国伝には「新羅・百濟は、みな俀を以て大国にして珍物多しとなし。並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す」との記述がある。
倭寇に悩まされる明は、日本側に有利な朝貢関係の設定と引き換えに倭寇を取り締まらせようとする。日本の南北朝期に九州に南朝派政権を構えていた懐良親王が「日本国王良懐」として明に朝貢を行う。その後室町幕府3代将軍の足利義満が明朝に対して使節を派遣して「日本国王」に冊封される。